Clothes That Matter

服を起点としてめぐる思考の記録。15年後に誰かに思い出してもらえる文章を目指しています。

バーバリーのトレンチコート:タイムレスであること、タイムレスに着られること

timeless adjective (NOT LIMITED)

having a value that is not limited to a particular period but will last for ever

TIMELESS | meaning in the Cambridge English Dictionary

 

日本において、個人のファッション経験がいかに豊富に蓄積されているかを典型的に物語るアイテムというのがいくつかあると思っています。そのうちのひとつが、バーバリーのトレンチコートではないでしょうか。

 

特に1980年代半ばから90年代まで、日本企業が海外に(今では考えられないほど)駐在員やトレーニーを送り出しまくっていた時代、ロンドンに駐在したり留学したりしたタイミングでバーバリーのコートを購入した、という人が一定数います。この点で、日本人とバーバリーの付き合いは長く、最近はヴィンテージの人気も高まっているようですが、個人で所有して「ヴィンテージ化」しているアイテムも相当な数があると思います。

 

私は、個人で所有しつつ、自分のワードローブのなかでヴィンテージ化させることに憧れがあったので、新品を購入することにしました。

 

jp.burberry.com

 

現在のメンズの展開では、ウィンブルドン、チェルシー、ケンジントン、ウェストミンスターという4つ?(おそらく)の型があり、フィットとレングスで分類されているようです。私は今回、ウェストミンスターというモデル(リラックスフィット、ロング丈)の、ハニー(ベージュ)のお色を選びました。

 

ウェストミンスターは、タンブル加工を施したトロピカルギャバジンが使用されています。トロピカルギャバジンは2017年のコレクションから復刻されたファブリックで、通常のコットンギャバジンより軽量で、しっとりとして柔らかい生地感が特徴です。ハリ感はないのですが、決してペラペラなわけではなく、しっかりと厚みもありながら新品でこの風合いを出しているのは素晴らしいと思います。特にロング丈では生地のドレープ感が美しく表現されるので、迷わずにチョイスしました。ロンドンでもお在庫が少ないので、他のお色は見られていませんが、ブラックも良さそうな気がします。

 

最も技術力が必要とされる襟や、留めやすいように「立ち上げられた」ボタン、何重ものステッチで補強されたベルト、ヴィンテージチェックの裏地など、あらゆるディテールが素晴らしく、見てるだけでうっとりします。もちろん見た目だけではなく、実はバーバリーのコートはロンドンに来てこれが3着目の購入になるのですが、機能面でも素晴らしく、当地の気候やライフスタイルに最適な着心地です。高密度のコットンギャバジンなので、軽い雨をしのげ、外ではしっかりと風を防ぎ、Tubeやバスの中で着たままでも暑くならない。ロンドン程度の寒さであれば真冬にも対応でき、ごく短い真夏以外は季節を問わず活躍してくれます。

 

トレンチコートはかなり多様な着方ができるので、コーデの幅が広がるのもとても楽しみです。ただの布だと思って、パーカーやシャツの上からばさっと羽織るスタイルが今の気分です。

 

Burberry Trench Coat

 

三陽商会とのライセンス契約などビジネス面での日本独自の展開を行っていた頃、バーバリーは自分にとってそれほど魅力的なブランドではありませんでした。というか、あまり魅力的とか魅力的ではないとか、考えたこともなかったです。ライセンスビジネスの顛末については色々なところで色々なことが言われていますが、特に独自展開レーベルなどは最初から最後までずっと微妙だったと思います。高級ラインにしても、プローサムやらロンドンやらと細分化されて、わけがわからなくなっていたような気がします。よく言われているブランドの普及に貢献したというのも、たしかに名前だけは売れたかもしれませんが、言われているほどポジティブな効果があったと考えてよいのかは疑問です。

 

ものづくりの歴史と技術力がダイレクトに反映された(トレンチ)コート以外のアイテムはよく分かりませんが、グローバルに統一されてからのラグジュアリー路線は成功していると思います。未だにやっているブランドもありますが(革製品のVとか...)、ローカル法人で独自に運営されているブランドは、アフターサービスの規定などがローカル化されている(たとえば、日本以外の国で購入したアイテムの修理は日本では受け付けない)ことがあるので、消費者にとってデメリットが大きく、時代錯誤も甚だしいです。世界中どこでも同様のサービスが受けられるからこそ、ブランド価値が普遍的であるということなのに、ローカル化してどうするのかと思います。一昔前はそれが市場参入の戦略だったのかもしれませんが、デジタル戦略が重要になった今では通用しない気がします。

 

特にバーバリーのトレンチコートのようなアイテムを手に取ると、タイムレスであるとはどのようなことなのか、タイムレスに着られるとはどのようなことなのかをよく考えるようになります。ロンドンにいると、ヴィンテージマーケットでバーバリーのコートを見る機会も多いのですが、まず、プロダクトそのものの耐久性が段違いであることがすぐに分かります(もちろん、ここには多大なる「生存バイアス」があり、そういうものしか残っていないという面はあります)。あくまでコットンなので限界はあると思いますが、素材そのものが(たとえばポリウレタンなどと違って)経年変化に耐えうるというのと、優秀な素材をしっかりとした技術で作りこんでいることが、このプロダクト特有のヴィンテージ市場の厚みに現れていると思います。これが、バーバリーのトレンチコートというアイテムが、タイムレスであるということなのでしょう。

 

一方で、丈夫なだけのものなどいくらでもあり、時代を超えて人びとに着続けられるものとそうでないものには違いがあります。個人の好き・嫌いを超えて、プロダクトの魅力(魅力があると思わせること)を支えるのはブランド価値やイメージの維持・向上のための企業戦略であって、近年のバーバリーはそれになんとか成功しているということなのでしょう。あまりに早いペースの価格上昇には辟易することもありますが、それもある意味、ブランドから顧客(潜在的な)に向けてのメッセージとも読めます。昔のことを知らない人にとっては、新品を買おうと思えば現在の価格を受け入れるしかなく、納得できる人が購入するだけです。1980年代くらいからバーバリーを愛用されている方にとっては、現在の価格はどうかと思う向きもあるかもしれませんが、自分の所有している古い物の価値は担保されるわけで、両者ともに価値の高さを確認することができます。それがタイムレスに着られることを可能にするのでしょう。

 

服(をめぐる思考)を記録する:なぜ、いま、ブログを始めるのか

コロナ禍のなか、東京からロンドンに引っ越して1年半が経ち、ようやく日々の生活が落ち着いてきたというのもあります。が、なぜ、instagramやYouTube全盛の時代にあって、文章を中心としたブログというメディアに興味を持ったのかというと、激動の時代のなかでも(1)自分のファッションに対する関心は変わらないこと、(2)その時代、その場所に特殊なファッション(とそれをめぐる思考)を記録しておくことに意味があると思ったからです。

 

私にとって、ファッションとの出会いはほぼイコール、ファッションブログとの出会いでした。1991年生まれの自分がファッションに「目覚めた」のは、記憶にある限り2004年ごろ、つまり中学生になったあたりでしょうか。小学校卒業と同時に「ムーバN252i」(シルバー)を買ってもらったので、その頃からインターネットを個人利用することが初めて可能になりました。

 

インターネットへの接続は、自分の「世界」を超えて、あらゆる情報へのアクセスを可能にしてくれました。その代表がファッションでした。2006年ごろに読み漁っていたのが、UGさんによるブログ、Ideal Streamです。

blog.tsushin.tv

 

当時は、書かれてあることのすべてを理解することはできませんでしたが、このブログに書かれてあること(およびコメント)は、私のファッション観に絶大な影響を与えました。このブログに出会ったことで、ファッションが面白い、ブログが面白い、そしてまたファッションが面白くなる・・・このサイクルが自分のなかで確立しました。おそらくその理由は、ファッションに興味を持ったものの、その興味を共有できる友人が自分の半径2メートルくらいにはいなかったのと、一方で、既存のメディア(ファッション誌など)に書かれてあることには知的関心を刺激されることがなかったので、ブログがそのギャップを埋めてくれたというのが大きいと思います。

 

それから15年経った今になって思うのは、移り変わりの激しいファッションであるからこそ、文章で記録を残しておくことには大きな意味があるということ。既に15年前と今とでは、インターネット上の情報量や情報発信のあり方が様変わりしているというのはありますが、instagramやYouTubeによる発信は、きわめて短期的で表層的な刺激のように自分には感じられます。日々、何枚ものファッションスナップやファッション動画を目にしていますが、数年後、十数年後の自分に何かを残してくれる感覚はないです。

 

一方でブログは、読んだ時はそのように思えなかったとしても、いつかどこかですごく大切な意味を持ったり、違う文脈で気づきをもたらしたりする可能性を秘めていると思います。自分も、せっかくあらゆる事柄のなかからファッションに興味を持ち、少なくとも15年くらいは興味を持ち続けられたので、それなりに厚みのある記録ができるようになったのではないかと思いました。

 

日本は、凋落しつつあるといっても、戦後、欧米以外で最も早く経済成長を達成した国ではあるので、モノと、個人のファッション経験の蓄積には相当なものがあると思います。バブル期にファッションに対してお金と時間を惜しみなく使った人にお話を聞けばすぐに分かりますが、今の時代に本当に新しいものというのは実は少数派なのかもしれません。特にロンドンに来てからはよく実感しますが、流行というのは所詮、作られたものでしかないので、振り返ってみれば同じようなことが繰り返されているだけなのがけっこう、滑稽でもあります。そのようなことも、そのうち2000年代に書かれたブログが証言するようになる(一部、すでにしているかもしれませんが)可能性を想像すると、やはり文章の持つ力の偉大さを感じてワクワクします。

 

このブログでは、以上のようなことを念頭に置きつつ、洋服をはじめ、モノを起点としてめぐる思考を記録していきたいと思います。15年後、誰かに思い出してもらえる文章を目指します。どうぞよろしくお願いいたします。