Clothes That Matter

服を起点としてめぐる思考の記録。15年後に誰かに思い出してもらえる文章を目指しています。

服(をめぐる思考)を記録する:なぜ、いま、ブログを始めるのか

コロナ禍のなか、東京からロンドンに引っ越して1年半が経ち、ようやく日々の生活が落ち着いてきたというのもあります。が、なぜ、instagramやYouTube全盛の時代にあって、文章を中心としたブログというメディアに興味を持ったのかというと、激動の時代のなかでも(1)自分のファッションに対する関心は変わらないこと、(2)その時代、その場所に特殊なファッション(とそれをめぐる思考)を記録しておくことに意味があると思ったからです。

 

私にとって、ファッションとの出会いはほぼイコール、ファッションブログとの出会いでした。1991年生まれの自分がファッションに「目覚めた」のは、記憶にある限り2004年ごろ、つまり中学生になったあたりでしょうか。小学校卒業と同時に「ムーバN252i」(シルバー)を買ってもらったので、その頃からインターネットを個人利用することが初めて可能になりました。

 

インターネットへの接続は、自分の「世界」を超えて、あらゆる情報へのアクセスを可能にしてくれました。その代表がファッションでした。2006年ごろに読み漁っていたのが、UGさんによるブログ、Ideal Streamです。

blog.tsushin.tv

 

当時は、書かれてあることのすべてを理解することはできませんでしたが、このブログに書かれてあること(およびコメント)は、私のファッション観に絶大な影響を与えました。このブログに出会ったことで、ファッションが面白い、ブログが面白い、そしてまたファッションが面白くなる・・・このサイクルが自分のなかで確立しました。おそらくその理由は、ファッションに興味を持ったものの、その興味を共有できる友人が自分の半径2メートルくらいにはいなかったのと、一方で、既存のメディア(ファッション誌など)に書かれてあることには知的関心を刺激されることがなかったので、ブログがそのギャップを埋めてくれたというのが大きいと思います。

 

それから15年経った今になって思うのは、移り変わりの激しいファッションであるからこそ、文章で記録を残しておくことには大きな意味があるということ。既に15年前と今とでは、インターネット上の情報量や情報発信のあり方が様変わりしているというのはありますが、instagramやYouTubeによる発信は、きわめて短期的で表層的な刺激のように自分には感じられます。日々、何枚ものファッションスナップやファッション動画を目にしていますが、数年後、十数年後の自分に何かを残してくれる感覚はないです。

 

一方でブログは、読んだ時はそのように思えなかったとしても、いつかどこかですごく大切な意味を持ったり、違う文脈で気づきをもたらしたりする可能性を秘めていると思います。自分も、せっかくあらゆる事柄のなかからファッションに興味を持ち、少なくとも15年くらいは興味を持ち続けられたので、それなりに厚みのある記録ができるようになったのではないかと思いました。

 

日本は、凋落しつつあるといっても、戦後、欧米以外で最も早く経済成長を達成した国ではあるので、モノと、個人のファッション経験の蓄積には相当なものがあると思います。バブル期にファッションに対してお金と時間を惜しみなく使った人にお話を聞けばすぐに分かりますが、今の時代に本当に新しいものというのは実は少数派なのかもしれません。特にロンドンに来てからはよく実感しますが、流行というのは所詮、作られたものでしかないので、振り返ってみれば同じようなことが繰り返されているだけなのがけっこう、滑稽でもあります。そのようなことも、そのうち2000年代に書かれたブログが証言するようになる(一部、すでにしているかもしれませんが)可能性を想像すると、やはり文章の持つ力の偉大さを感じてワクワクします。

 

このブログでは、以上のようなことを念頭に置きつつ、洋服をはじめ、モノを起点としてめぐる思考を記録していきたいと思います。15年後、誰かに思い出してもらえる文章を目指します。どうぞよろしくお願いいたします。